第8回 REPORT

2015.09.27 REPORT

人との関わりで生まれる建築と未来の風景

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大西 麻貴 建築家,東京
家成 俊勝 建築家,大阪
矢津 吉隆 美術家,kumagusuku(クマグスク)代表,京都

経済性や奇抜さといった市場原理の求めに応じる建築が多くある一方で、建築そのものの設計とともに、景観的な調和や、完成後の使われ方の設計にも目が向けられてきているようです。
近年、建築家が地域に入り、人々の声を聞きながら行うものづくりが進んでいますが、それは歴史に残る名建築のような強度をもち、対抗しうるひとつの流れとなるのか、それとも全く違うものになるのでしょうか。

[ ゲスト ]
矢津吉隆氏 美術家、kumagusuku(クマグスク)代表
京都を拠点に活躍するアーティスト。「瀬戸内国際芸術祭2013」夏秋会期において、小豆島「醤の郷・坂手港プロジェクト」に参加。3ヶ月間の期間限定で使われなくなった宿坊を、滞在型アートスペース「kumagusuku」として改装。
また、2015年1月、京都市中京区に、アートと宿泊空間・日常と非日常の経験が寄り添う「KYOTO ART HOSTEL kumagusuku」を開業する。

家成俊勝氏 建築家
大阪北加賀を拠点として活躍する建築事務所「 dot architects」を赤代武志と設立。
建築設計のみならず、施工からアートプロジェクトの企画まで多岐にわたる活動を展開。
瀬戸内国際芸術祭2013においては、小豆島で“老若男女問わずだれもが建てることに参加でき、完成後は地域の人々や来島者が利用できるスペース”というコンセプトの、「Umakicamp」を手がける。

大西麻貴氏 建築家
建築家 百田有希氏とともに建築ユニット「o+h」を共同主催。
学生時代より数多くの受賞歴を誇る。また小豆島や福智町、奈良など各地域で、そこに住まう人々と共同した建築プロジェクトの立ち上げなどにも積極的に参加。小豆島では、滞在型ワークショップなども展開。

ゲストについてのより詳しいプロフィール

□現在の建築と地域の関係とは?

矢津:最近建築家さんと話をしていると、「自身の身近なものや空間が建築を通してどのように変わるか」ということを意識されている方が多いと思うんですが、お二人はどうでしょう。
お二人とも地域と関わりながら建築だけにとどまらないお仕事をしてらっしゃるので、今の時代、建築というものがどう変わってきているのか、というのを聞いてみたいと思います。

家成:高度な技術を必要としなくてもやっていける技というのが建築にも必要だとは思います。
これは建築の話ではないんですけど、僕の知り合いが急に家業のお好み焼き屋を継ぐことになったんです。
その時、「1ヶ月必死に頑張ったら、食べていくことができるようになった」って言うんです。
僕はこれはすごくいいことだと思います。
現代の仕事って、高度で専門的な技術が必要か、でなければ低いスキルで絶えずコミュニケーションを必要とするサービス業かという二極化が進んでいるような気がするんですよね。
だから、建築であれ、他の職種であれ、その二極化に収まらないで自分の手で何かを作る“半分くらいの技術でできる生業”というものがあってもいいと思うんです。

矢津:それは共感できます。僕もアーティストとして表現をしていく上で、高度な専門技術は持っていません。だから表現を立ち上げる時に、なんとか手持ちの技術でやっていかないといけない。
ただ、やっぱり先入観としては、建築って高度な技術を持った人がやるものって考えているところはあるんですよね。

家成:今の都市の景観は、高度なスキルのある専門家が設計して作っていますよね。インフラ、病院、交通、情報網、すべての仕組みを作っているのが彼らですから。
そのあらかじめ作られたインフラの中で生かされているのが、僕はあまり好きではないんです。
その専門技術の半分くらいの力で、地域や僕らが関わりながら、モノや空間が作れたらいいなと思っていますよ。

大西:これまでの多くの公共建築を建てるプロセスというのは、完成するまで全く建てる様子を見ることが出来なくて、ある日突然仮囲いが外れて、真新しい建築が現れることがほとんどですよね。
私はこうしたやり方ではなくて、もう少しみんなで“建築のできるまで”を感じられるようになれば、建築家にとっても地域の人々にとっても、建築に対する考え方が変わるんじゃないかと思うんです。
いま、小豆島や福知町では地域の方と一緒に建築を考えるという機会に恵まれています。
その時テーマになってくるのは、やっぱりまちや人との関係を建築の個性にどうつなげていくのかということ。話し合ってことによって当たり前のものを作るのではなくて、地域の人と共に、思いもつかなかった空間や、面白い!というアイディアを育てていけることが重要なんだと思います。

□地域と作りあげる建築って?

矢津:しかし、大人数と話しながら建築を作っていく中で、ともすれば“最大公約数的”というか、予定調和で建築が出来上がってしまうこともあると思うんです。
では、そこをどう回避していくかを聞いてみたいですね。
家成さんも大西さんも、それぞれに人との関わりの中で「見たことのない建築」を作り上げていますが、そうした結果に至るコツってどのようなものなんでしょう?

家成:コツというのはないと思うんです。人との話の仕方に答えがないのと同じですね。
僕は小豆島で“地域を盛り上げよう!”と思って建築に携わっていなくて、”面白いことがしたい”と思っていただけなんです。それで外部から来た僕と、地域の人が一緒に立ち上がって当事者として動けたらいいな、と。
そのせいか、僕はそのプロジェクト中はスナックや居酒屋で飲みながら地域の人と話をしていました。建築の話はあまりせず、その場で出てきた興味を惹かれる言葉がいつの間にか不思議と建築に繋がっていったんですよ。
多くの会話の中で一人一人が時折口にする、「変なこと、オモロイこと」を聞き漏らさず貯めていったら、場所のあり方に生かされたわけですね。

大西:私たちも小豆島では、建築家として話を始めたんではなくて、一緒に飲んだりご飯を食べたりする場から出発して徐々に、プロジェクトが始まりました。
その土地で、話して飲んで、景観を見て、ご飯を食べて、という経験が建築になっていった。
自分の中で血肉として消化されたものが形になっていくというのが、小豆島でのプロジェクトですね。

矢津:小豆島で大西さんをお見かけした時は、中学生と対話したり散歩したり、細い路地の奥で吹奏楽の演奏会をしたり、素敵なことをしていましたけど、そうしたことも地域の方との関係によって生まれたものなんですか?

大西:そうですね。また、小豆島や福智町でも一緒にプロジェクトをすすめているメンバーとは、「参加する」ことと同じように「応援する」というのも大切だなと話しています。
空間とか環境を作る上で、「参加する」っていうのはかなりエネルギーが必要だし、大変なことだと思います。でも、「応援する」だったら、日々の仕事のある方や高齢の方なども「私たちも出来る」って思ってもらえるかもしれない。おばあちゃんがプロジェクトに参加する孫や地域の子供を応援するとか、お母さんが子供にお弁当を持たせるとか、いつできるのかな?と完成を楽しみに待つとか、そういった形で建築や地域づくりに携われるあり方っていうのも大事かなあと思います。

□建築と当事者意識

家成:大西さんと同じく地域の人と空間を作り上げていく上で、多くの人が何らかの形で当事者であってほしいとは思います。ただし、小豆島での僕の活動は、誰もが応援してくれたわけではないと思います。
時には対立があったりしましたが、そうしたことはあっていいと思うんです。全員が応援してくれるんじゃなくて、違う意見が言い合える状況は当事者でいることにつながります。
それがないと、きっと自分たちで町を作るっていうことからズレていっちゃうんじゃないでしょうか。

矢津:そうですよね。地域の人への迎合だけでも、建築家の思いに賛同するだけでも、ただ理想化されただけのモノができてしまいそうですよね。

大西:確かにそうですね。
今ファッションブランドとの仕事をしているんですが、その検討のために事務所にマネキンが届いたんです。そのマネキンが八頭身のすごいプロポーションで、事務所のスタッフと並んだ時の差に衝撃を受けました。しかしそれは案外建築家が地域と関わったり、町について考えるというときも同じなんじゃないでしょうか。
私たちもどこかでマネキン的な、理想化された人間や社会を考えているところがあるんじゃないかと思うことがあります。

家成:特に建築家の仕事って、そうなりがちなんです。
例えば都市計画で利便性や衛生的な環境を考慮した結果、上下水道や高圧線によって、それまであった従来の暮らしや文化が分断されることがあります。これから大事になっていくのは、僕らや地域の人が自分たちでできる“半分の技術”でそうした分断されたものをどう取り返していくか。
地域の中で、建築が役割を果たしていくためには、関わる人々にとって建築が身近なモノとして感じられること、そして技術的にも建築の作られ方がわかるというのは大事です。

矢津:僕もクマグスクを作っていく中で、そうした地域の巻込み方に苦しんでいるところはあります。アートは、まだまだ地域に受け入れられているものではありませんから。クマグスクという形はできましたけど、そこに地域の人はなかなか来てくれないんですよね。

家成:クマグスクって、南方熊楠さんから取られてるんですよね。
僕は以前に粘菌を育てていたんです。粘菌は迷路を解くんですけど、その中で迷いや間違いを当たり前のように受け止めて最適解を導いていきます。ただし、最適解を得て環境に完全に適応したら死んでしまうそうなんです。
だから、粘菌は環境がガラッと変わったとしても生き残れるように、環境に適応しない部分を持っている。今にフィットしないことで、次にフィットするというか。僕は粘菌に教えられましたよ。理想化せず、地域の人たちを当事者として、自分たちの力で変えていけることが大切。これはまちづくりでも同じなんじゃないですかね。

□未来に向けた“仮のもの”としての建築

矢津:最近は僕の構想している作品も、「建築的なモノ」に近づきつつあるんですけど、その中で考えているのは、“建築ってなんなのだろうか”ということなんですね。
建築というとどうしても、人が入るスケールのものだったり大建築家が作り上げるスケールの大きな空間をイメージしてしまうんですが、一方で家成さんや大西さんの行っているプロジェクトを見ていると、建築という箱は一旦脇に置いておいて「一緒になにかできそう」という期待が持てるんです。

家成:建築は人の行動を計画して作られることが多いですよね。ただ空間を使う人が計画によって動かされることもある。僕はそれがあまり好きじゃないんです。そこは僕も設計をしているのでジレンマを抱えるところではありますが。ただ、大西さんがおっしゃったように、建築がある日突然できるのではなくて、そこに至るまでの過程やそこから生まれる”良いこと”が共有できる、というのは大事ですよね。

矢津:家成さんと建築との関わり方って、結構根源的なところがありますよね。

家成:根源的なところは確かに持っていますね。この間、宗教人類学者の植島 啓司さんと淡路島の神社に行ったんですよ。そこで植島さんが「神社は本当に大切なところに建っていない、大事なのはその隣の杜である」と言うんです。
建築というのは、本当はそういうものかもしれません。例えば伊勢神宮の式年遷移での建て替えには、技術の伝承や生まれ変わりや建立された年代を特定しないためなどの説がありますが、僕は「常にこれは仮のものである」ということの表明なのだと思っています。
建築家は建物を建てたらずっと残ってほしいと思うものですが、あくまで建築は仮のもの。決定したものではないという意識を持っていたいですね。
建物は永続するものではありません。例えば100年、200年続く家があったとしても、100年後の生活を想像できている人はいないんです。現に数百年続いた旧家もありますが、それらは資財があり継続する歴史があるから残っているんですよね。
私たちが日常的に触れる建築はもっと仮のものでいい。例えば30年ほどのスパンで、朽ちて取り壊し、また地域の人が当事者意識を持って、生活に寄り添った仮のものを立ち上げていく。
これからの建築のありかたには、そんな考えがあってもいいと僕は思っています。

クマグスク見学ツアー
会場から歩いて徒歩30秒、矢津さんの手がけるアートホステル クマグスクに参加者が訪問しました。ちょうどCLASS ROOM開催日は、クマグスクの企画展「光の洞窟」の最終日。ホテル全体を使ったアート作品の展示を見ながら「アート」と「ホステル」の両立、宿泊するという生活の中に寄り添ったアートという建築空間。矢津さんの表現の立ち上げ方に、刺激を受けた参加者も多かったのではないでしょうか。

撮影:後藤 純一
レポート:鷲巣 謙介
会場:喫茶店uzuビバレッヂ

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