小豆島REPORT

2013.08.27

#03 素麺づくりは, 関係づくり

なぜ人々は小豆島をめざすのか?

「この時期は自転車の人が多いですね」。
真鍋さんは次の目的地へと車を走らせながら, われわれにそう語りかけた。実際, 彼の話を聴いた後注意して見ていると自転車やバイクで走るツーリストの姿をよく見かけた。彼らは5月の空を舞う若いツバメのように, オリーブの並木に沿って伸びる国道を気持ちよさそうに滑り抜けていく。潮風や, 陽光をからだいっぱいに浴びて, ただ走ること。それだけでも他の場所では得難い体験に感じられるのが, 小豆島の魅力なのだと思う。
真鍋さんの話によると, 小豆島を訪れる観光客は年間でおよそ100万人にものぼるといわれている。
「これでも少し減っていて, ピーク時は150万人近くあったそうです」。

岡山市が500万人, 高松市が800万人とう数字を鑑みても, いまもってこの小さな島に100万人超の観光客があるということにまず驚かされる。島には前回のエントリーで紹介した文化財や寺院などのほか「エンジェルロード」「二十四の瞳映画村」「寒霞渓」といったいくつかの観光スポットはあるものの, 全国の誰もがその名を知るような観光名所とはお世辞にもいいがたく, ましてやテーマパークや遊園地があるわけでもなければ有名な温泉地というわけでもない。にもかかわらず, これだけの人々が毎年この島を訪れる。彼らは何を求めて小豆島へやってくるのだろうか。
考えうる理由のひとつとして, やはりこの島ならではの温暖な気候がある。とにかく雨が少ない。しかも温暖なうえ湿度が低く, カラッと気持ちのいい潮風が吹いている。われわれが訪れた5月の初めごろはとりわけ気候が良い時期で, 新緑がまぶしく輝き, 海はいたって穏やかだった。空と海のブルーにみずみずしいグリーンが彩りを添える島の風景は, どこを切り取っても絵になるほどフォトジェニックで, いつもフレッシュな印象をもたらした。花の香りが強く, 鳥の声が近く感じられる。そのうえ, 高松から1時間, 神戸からでもわずか3時間でアクセスできることもあるだろう。平野部の, それも高層ビルが林立する都心からわずか3時間後にこの島に降り立ったときの不思議な感覚は, なにかの手違いで「異世界」に潜りこんでしまったような驚きに満ちていて, 簡単には言葉に表し難い独特の感動がある。こうした瀬戸内の島ならではの風土が, きっと多くの人を惹きつけるのだろう。

「観光から, 関係へ」を象徴する真砂喜之助製麺所

そして, もうひとつ。このところ小豆島の観光を語るうえで欠かせないのが「観光から, 関係へ」というキーワード。そもそもはこの「観光から, 関係へ」という言葉は瀬戸内国際芸術祭2013「小豆島 醤の郷+坂手港プロジェクト」につけられたキャッチコピーではあったのだが, それはいまや小豆島全体の在り様そのものをさす言葉に昇華しているといってしまってほぼ差し支えないだろう。そして, そのキーワードを体現する象徴的な場所のひとつとして注目されているのがいまからわれわれが案内していただく「真砂喜之助製麺所」である。

真砂喜之助製麺所は, 現在3代目・博明氏夫妻と4代目・淳氏夫妻との家族4人による家内制手工業で小豆島特産の手延べそうめんを製造・販売している。始まりは1920年ごろというから, いまからおよそ100年近く前のこと。農業をしていた初代・真砂源蔵は冬の農閑期の仕事にとそうめんの製造を始めることにした。その後, 源蔵の息子である喜之助が独立してそうめんの製造を行い, ついに専業化した。ここから「真砂喜之助製麺所」としての歴史が本格的に幕を開けることになるのだった。この2代目・喜之助はすこし変わった男で「喜之助伝説」と呼ばれるエピソードを残している。
時代はまさに高度経済成長に突入したばかりのころ, 喜之助は素麺が乾く夕方になるとひとり家を飛び出すと自らの足で島内を練り歩いた。片方の手には一升瓶。「まあ呑まんかあ」と, あいさつ代わりに酒を酌み交わす。そして, もう片方の手には自ら手塩にかけて作り上げたできたての素麺。「食べてみさんせ」と, 尋ねた家々で振る舞った。こうして喜之助の素麺は口コミで伝わり, 評判になっていったのだという。手から手へ, 人から人へ。いまでいうところの「イベント売り」のような形態。喜之助自身が直接おいしさを伝えたことが功を奏したのかもしれない。

4代目・真砂淳さんとの出会い

さて, いよいよ真砂喜之助製麺所にたどり着いた。場所は国道からわきに入り, うねうねと細く曲がったいかにも小豆島らしい小道を奥へと進んだところにある。しかも, 勝手にショップのような外観をイメージしていたら実際にはまさに「製造所」といった趣で, 外から中の様子は伺えるものの扉が閉まっているとなかなか開けにくい雰囲気。おそらく真鍋さんの案内でなければ訪れることはできなかっただろう。われわれを(というか真鍋さんの姿を)見つけた4代目・淳さんが, ガラガラと引き戸を開け, 出迎えてくれた。
「どうもどうも, ようこそいらっしゃいました」
人懐こそうな笑顔が印象的な淳さんは「ちょうど素麺を外に干すところなので, これも写真撮ってってもらったらええですよ」と作業をしながらわれわれに話しかけた。なんというか, 出会って最初のひと言目で, すっかり人との垣根を軽々と超えてしまうことができる, そういうタイプの人だとすぐにわかった。それでこちらもあっという間に気持ちがほぐれてリラックスできた。
「素麺はいったん外で天日干しにします。天日で干すと麺が白くなるんです」
麺は打ちたての時点ではやや黄色がかったパスタのような色をしているのだ(じつはこのまだ温かい打ちたての生麺をいただいたのだが, そのまま食べてとても美味しかった!)。

天日干しで麺がある程度乾くと, こんどは室内でしばらく干す。真砂さんは「乾くのを待つあいだ, 素麺製造の工程をお見せしましょう」と言った。そしておもむろにiPadを手にすると, なんとiPadを使って説明をはじめた。これが写真や動画がついていてとてもわかりやすかったのだ。考えてみればいまどき驚くことでもないのかもしれないが, 小豆島のそれもこんな民家の奥に分け入った小さな素麺の製造工場のことだから, 昔の工場見学の際にもらったような下敷きにイラストみたいなものが配られるのかと想像していただけに, すこし面食らってしまった。

新たな関係を生みだすオープンマインド

じつは真砂さんは「Facebookページに載せたいから」と, われわれや真鍋さんの写真を撮っていらっしゃったのだが, この写真がまた本格的でお上手なのだ。デザインにも関心が高く, このときリニューアルされたパッケージデザインを見せていただいたのだが, 淳さん自身がアイデアを考え, もとはお客さんだった高松在住のイラストレーターさんと一緒にアイデアをかたちにしていったのだという。「マジメで実直」といういわゆる職人さんの顔ももちろん見せるのだけれど, それだけではない多彩な顔を持っている。そうした淳さんの新しいことにチャレンジする姿勢が真砂喜之助製麺所を「人が集まる場所, 人と出会う場所」にしているのかもしれない。モノづくりの人というのは, ややもすると「職人とは」みたいな感じでついつい内なる戦いへと向かいがちなものだが(もちろんそれがダメだというつもりもないのだけれど), それでもこうしてしっかりと外を向いてオープンにお仕事をされている姿は, 初夏の小豆島に吹く風のごとく清々しい。

また「真砂喜之助製麺所」では積極的に工場見学を受け入れていて, 関西はもちろん, 東京など遠方からも訪れる人も多いという。そしてこの見学を通じて出会った人たちのあいだで, 新しい交流が生まれることもあるそうだ。われわれも「素麺工場に見学に来た」というよりは「真砂さんに会いに来た」という印象を持って, ここを後にすることができたのだが, 島に住む親せきや友人に会いに行くような, そんな親密な関係を生み出しているのは, ひとえに淳さんの人柄ゆえだと感じた。そうして, その結果われわれは「観光から, 関係へ」の持つ意味の一端を知りえたような気がしたのだった。

淳さんの, あの人懐こい笑顔を思い出しながら車で製麺所を後にする。小さくカーブを描く小道を国道のほうへと下りながら, ふと, あの「喜之助伝説」を思い出した。喜之助が自信の素麺を成功に導いたキッカケもやはり「人との関係づくりから」だったのではなかったか。食を体験としてイベント化することで人々を集め, 人伝いに「喜之助の麺」を広めていった, 真砂喜之助製麺所の原点。それは, 淳さんの人柄やお客さんとの関係づくりにおいて, いまもなお確かに受け継がれているのだと思った。

(つづく)

文:松島 直哉

TOP